ともぞう。

ゆるゆる。しごと。おもうこと。

繋がって

極論、

自分だけがずっと長生きできる代わりに、

他の全員が死ぬ。

となったら、

長生きなんて、意味ない。

と、きっとみんな思うとおもうのです。


自分と家族だけが長生きできる代わりに、

他の全員が死ぬ。

となっても、しかり。

だって、お店やさんがぜんぶしまっちゃうんですよ。

コンビニもスーパーも。



だから、つまり。

幸せになるというのは、

自分1人じゃ、なれない。

と。

そう、なぜか、昔から感じていて。



というわけで、

かれこれもう、ずーっと。

ずっと、と言っても、20年くらいかな。


お賽銭を投げたお祈りは、

自分と、家族と、まわりのみんなが、

健康でありますように。


幸せになるかは、、、

不幸のターンの時期もあるから、

幸せになりたいなんて、

おこがましいかなと。


でも、健康は願ってもいいかな。と。


そういう、損得のもと。


5円玉で、世界平和を願ってます。

みんなが笑顔でいてくれないと、

自分も、しあわせでいることは、

できないような。

そんな気がして。


花粉症

わたしの花粉レーダーが騒いでいる。 

いま、花粉きてるよ。と。


花粉レーダーがあるひとは、

花粉が見える!

と、私は思っていて。


冬だけど、花粉にやられてます。


腹痛とか頭痛とかはなみずとか、

生活の生産性が落ちるから、

ほんとヤダ。



でも、

死ぬこと以外はかすり傷。

と、言った女優さんの言葉はある意味正解。

生き地獄の場合もあるけど、、

総じて、生きていられることに感謝するのは、

病になったときだから、

ちゃんと忘れないように、しなくちゃ。

とおもう。

今が永遠じゃないから。


いつでもシンプルなしあわせを。




今が永遠じゃない。

つらいときの、わたしの励ましとして、

嬉しいときの、わたしの戒めとして、

いつも、ずいぶん前から、

わたしの心の拠り所になっている呪文。


これに気づくまでは、

かなり泣いて泣いて、廃人だった。

廃人なのに、死にたいとは決して思わなかったのは、

友達と家族のおかげ。

医療を志していたおかげ。

命の重さを知っていたこと、

これはかなりラッキーだった。


嫌な仕事も。

ひどい失恋も。

いいことも、悪いことも、

いまだけ。

今がそのターンなだけ。

今が永遠じゃないから。

絶望しなくても大丈夫。

だから。

いまだけ。いまだけ。

と、呪文をとなえる。


これが、心の拠りどころ。

演出

以前、たまたま雑誌の取材をうけたとき。


つい、仕事の癖で。

プラスαの結果を出そうとしてしまって。

何の気なしに、良かれと思って、

さほど何も考えずに提案したんだけど。


発売されたものをみて、

バッサリ切られてて、笑った。


そうだった。

私みたいな素人が口を挟んではいけない。

彼らはプロの世界で生きてるわけですから。


ついでにいえば、

話したことすべてが、相手に伝わるのは、

無理なんだな。

とも思った。

内容はだいたいあってるけど、

ちょっとニュアンスがちがう。

でも、別に、わたし個人の記事な訳じゃないから、

まあ、だいたいあってればそれで十分。


ニュアンスがちがうというのは悪い意味ではなく、

明確なコンセプトのもとに取材をして記事をつくるから、

聞き手も、その線からははみ出ない、

でもわたしはただの素人で、コンセプトをあんまり知らないから、

こうかな?と聞かれたことを適当に話すので、

オチというか、終着がちがう。

そりゃそうか。

と、雑誌をみて、思いました。



以前、ドキュメンタリーで、

「自分の考えが出てくるのが厄介。

    監督の指示に従わないと」


と、俳優さんが言っていて、

あのとき、数年前は、ハテナ?

と思ったけど、今なら、わかる。

こういう演出ありきのお仕事はきっと、

プロじゃない人が邪魔しちゃいけないんだな。と。


100パーセントの思うことを伝えたいなら、

本を書くかブログを書くか、

なんでしょうね。


リアルでも、ノンリアルでも。

想いをつたえるのは、むずかしい。

うちのこの文字も。

伝わっているのか。いないのか。

答えはいらないのでコメント欄が、ない。

でも、もし、みつけてくれたら、

と。



逃げ道

披露する場があるって、
いいですよね。

頑張っている成果を見せる場所。

ピアノの発表会だったり。
舞台だったり。
映画、コンサート、発売、大会、、、


縁の下の力持ちを望んで、ついたけど、
たまに、そーゆー発表の場がある趣味や仕事が、
うらやましいな。
と思ったりする。



きっと多くの専業主婦の方はそう思うのでは!



昔は、落ち込むと、
ピアノに逃げたり、
バスタブに逃げたり、
ふて寝したり、
ゲームに逃げたり、
テニスに逃げたり、
ビリヤードに逃げたり、
していましたが、
もう、今はそれもできず。

逃げ道がないほど、苦しいものはない。

ぱくぱく。

泣かない子供

江國香織さんの本です。


女子なら一度は、手にするだろう。

作家さんのひとり。


この本も、その1つ。


買って、売って、買って、売っての繰り返し。

それなら持っとけよ。

と何度も思うんだけど、

江國さんの本は中毒性があるので、

読むとしばらく落ち込みます。


だから、持ち続けることができない。



この本の、「ラルフへ」という話が、

ほんとうにスゴイ。

ラルフへお手紙を書く、という文体で。


奥さんと不倫相手。

それぞれ役割がある、というもの。

だから、くらべられない。

くらべるなんて、おかしい。

ごはんとおかしみたいに、くらべるなんておかしい。

というもの。



同じ土俵に立ってはいけないよ。

おなじ場所にいてはいけないよ。

と、何度も言い聞かせてくれた友人のことを

思い出します。



そんな友人に、

親友ってなに?

と、突然夜中の2時に突然連絡した私。

あーめいわく。

でも、ちゃんと、こたえてくれる。

むかしから。

一言だけ怒ってくれる。

大量に、あまえてる。


私は、しょっちゅう泣く子供だったけど、

友人は、泣いてる姿を見たことがない。

悲しそうな姿も。

確実に、泣かない大人。

年に数回しか連絡をとらないし、年に1回くらいしか会わないし、報告もしてこない。

あまりにあまりなので、

結婚する、離婚する、入院する、とかだけは

必ず連絡して!

と。、取り決めた。


共通の友人がいなくて、

マイノリティな彼女に万が一なにかあったとき、

私は知りえない。

きっと、携帯が繋がらなくなって初めて異変に気付くのかも。

というのが目下のなやみ。





The perfect outsider

大学のころの親友と、

おなじ趣味が1つだけ。


たまたま偶然。

どちらも、森博嗣さんの本を愛読していた。


私はノベルス。彼女は文庫で。

文庫本のほうが遅れて出るので、

ネタを話すタイミングはいつもズレるんだけど、

頑なに文庫本の発売日を待つ。

私が知る中で、文庫本があんっなに分厚い作家さんは、

京極夏彦さんか、森博嗣さんか。

京極さんのほうが分厚いですけどね。

2人とももう!

辞書です。小型辞書を持ち歩くような分厚さ。

読書好きはきっと。それすらステータスを感じてるくらい。


森博嗣さんの本が好き。

と話したら、じゃあ西尾維新さんを読んでください。

と後輩に言われたこともあったけど、

結局読んでいない、、、

だって本当に。森博嗣本だけでヘビーなんだもの。


思い出すと、そういえば。

ミステリー小説をたくさん読む時期でした。

アガサクリスティ。

エラリークィーン。

森博嗣森博嗣森博嗣


森博嗣さんは、一度だけ。

女王シリーズのころ。

本物が見たくて、やっぱり犀川先生なのかな?

と名刺交換会に参加したことがあります。が、

途中で抜けてしまった。

本当に生きてるひとなんだ、とわかったら、

なんだかそれで充分。


久しぶりに、読み返してみようかな。

と本屋に行ったけど、

文庫本コーナーの文字の多さに、立ちくらみ。

活字中毒なくせに、あのエリアの文字に

酔ってしまったので、

市の図書館に寄ってみた。

ら、1冊しかなかった。

あの、大量にシリーズものを、書いている作家さんなのに、

1冊だけ。

それが、有限と微小のパン

 

私が好きなのは、

すべてがFになるThe perfect insider

と、数奇にして模型 Numerical models

と、有限と微小のパン。The perfect outsider

数奇にして模型」は、

「好きにしてもOK」からきてる題名。

読むと、こころの自分が、にやり。

とするかんじ。


彼の本をシリーズものすべて、

ぜんぶ読み返すとなると、

半年はかかりそう。

と試算し、あっさり挫折。